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ふわふわぷかぷか

ハロプロを中心に思ったことを書き留めます。

けものフレンズ、悪くないんだけどさぁ

先日最終回を迎えた『けものフレンズ』は2017年冬クールの覇権アニメでした。私は基本的にアニメを自分から見ることはなく、ツイッターのタイムラインで高評価をよく目にする作品を一度見てみて面白かったら翌週から毎週視聴するというふうにしていて、今期はけものフレンズを3話までネットで追いかけ4話からリアルタイムで視聴しました。

この作品、キャラデザや表面上の話の調子はゆるーくほのぼのした雰囲気を基調としながらも示唆的な描写*1 が各所にちりばめられていたことから、考察厨が多くみられましたね。ツイッターの「#けものフレンズ考察班」のハッシュタグとか。どういう楽しみ方をするかは観る側の勝手なので私の誹りに取り合う必要はありませんが、ごちうさが好きな人間でけものフレンズをかばんとサーバルの関係性などを中心に解釈していた私は*2ディストピア的な要素に特に注目して「考察」を巡らせる人たちには終始冷笑的でした。結果論では、考察厨の人たちが考えていたことのほとんどは無駄でしたね。最終回まで一貫しないガバガバ設定や匂わせたきり回収しなかった謎が散見されるけものフレンズはその方面では水準の低い作品でした。まあ、空虚で無意味な内容であっても考えること自体が楽しいのだとしたらどうでもいいんでしょうが。

そういった背景もあり、オンラインの言論空間はけものフレンズにはなんだか知的ぶったというか高尚ぶったというかな称賛が溢れていて、論理的な不整合の指摘を含めどのようにもdisることが許されないような空気で気味が悪いです。 

それにしても、12話のはじめのフレンズたちが勢ぞろいした場面を「熱くなった」「かばんちゃん(ヒト)とフレンズの強い結びつきが端的に表現されていた」「巧い構成だ」などと評する人には感性を疑いますよ。あれはベタな少年マンガ展開と似て非なりますよ。あの作品に通底していた人間のエゴの象徴ですよ。その意味では確かに最終回にふさわしかったと言えますね(皮肉)。

それまで全くフレンズの呼びかけに反応しなかったラッキービースト(人間の製作物)が、ヒトの危機に際してだけネットワークを通じて全パークのフレンズに干渉して救出させるなんて、フレンズを仲間と思わず明確にヒトの下に置いて管理・利用・消費するというジャパリパーク設置者の醜い精神性の発露でしょう。私はフレンズとヒトとの隔絶の深さを知って眉を顰めましたよ。

ミライさんも、このアニメの制作者も、少なくとも無自覚にその思想を前提にしているんですよ。そのことに気付かず盲目的に持ち上げている人の言うことはすべて滑稽すぎて笑止です。

*1:1周目で現在進行形で視聴者の目に留まって考察されるようなものを「伏線」とは言いません。

*2:この記事は批判的な調子ですが私はこういう観点から見ていてけものフレンズには満足しています。良作でした。

道重再生公演に行ってきました

道重さゆみさんの『SAYUMINGLANDOLL~再生~』の3月23日、27日、29日のレイトショーに行ってきました。

何か言うのも野暮なくらいに素晴らしかったです。

さゆにはカリスマがあるなぁとしみじみ。会場が大きくないので(客席はせいぜい200人くらい?)、さゆから客は文字通り全員見えていて、コットンクラブの空間のすべてにさゆのオーラがなみなみ充満していました。私にとっての初日である23日は私が風邪明けで体調があまりよくなかったのですが(周りの席の人と道重さんに本当に申し訳なく思います)、場がさゆの本気に支配されていてステージ中は咳払いもできませんでした。それだけ圧倒的でした。

途中でさゆが客席を動き回るところがあるのですが、ただでさえ席とステージがとても近くてこんなにチケット安くていいのかと思っていたのにさゆが目の前まで来てぴょこぴょこ動くものですから本当に感動しました。

3日間通うなかで私の座席は初めはステージの真横に近かったのが徐々に正面寄りになりました。何度か行われるイリュージョンは真横から見てもタネが見えず興をそがれることがありませんでした。むしろ初日に真横から見て彼女たちのパフォーマンスの水準を知り安心や没入が深まりました。公演の内容が分かってきた2日目3日目にはステージが俯瞰的に見やすい位置になり新しい発見があったりして毎回飽きませんでした。

飽きないと言えば、さゆの髪型、毎日違いました。23日の公演の最初にはうさちゃんヘアーをしていて、「ああっさゆだ……!」とそれだけで泣きそうでした。はじめて間近でさゆを見たとか2年半ぶりの道重さんだったとかいう要素も加わってかもしれませんが、3日間のすべてを通じてあの最初の髪型がいちばん好きでした。 

「雑記事」のタグをつけて思いつくまま適当に書きつけましたが結構な字数になりました。それだけ盛りだくさんな公演だったということです。 

いま再生公演でやっていることが道重さんのしたいことなのかは私たちにはわかりませんが、今後はいまの公演のように、メジャー路線ではなく身の丈に合って地に足がついた活動、自分のしたいことをぼちぼちやってくれたらいいなあと願ってます。

日常系には内容がないって言うけど

そういう人が中身があるって言う作品こそ、設定からくる壮大なご都合主義の中でキャラが動いてるだけに見えて移入できないなぁ。まどマギでも、ラブライブでもさ。

 

君の名は。』に感動するって意味わかんないって思う理由の一つがこれで。

私は2回観たけど、二度とも映像はきれいだと思ったけど、話は良い悪いというよりそもそも評価すべきものが存在しないと思った。瀧と三葉には、彗星が落ちる、それによる糸守の人的被害を回避するという壮大すぎる仕事が背負わされて、(この作品では全体のまとまり的にそれは成功することが初めから観客には察せられて、)彼らはそれをするという運命に駆り立てられているように見える。彼らの行動には運命からくる当然しかなく、感情や思考の要素がない。ただストーリーのために動かされる駒になっていて、意志を持ち血が通った「人」じゃない。だから薄っぺらい。「ま、そうでしょ」「はいはい、それでこの問題を解決するのね」って白けちゃう。

 

シン・ゴジラ』は、あれは不条理ギャグアクションだから、初めから感動とか狙ってもいない作品だけど、登場人物の動きには似たようなところあるよねぇ。

 

じゃあ何が良いって、映画で言えば、私が観た2016年のベスト邦画は、『聲の形』、次いで『この世界の片隅に』。

好きなアイドルの曲

のたび、道重さゆみさんの再生公演のチケットを取りまして、しばらくぶりの現場に行くことが決まりました。私にとっては、道重さんは2014年の夏ハロコン以来、2年半ぶりです。あっ、2015年のさゆロス展を含めれば1年ぶりくらいですね。

 

日に限らずこのブログはいつもそうですが、記事の内容は完全な私見です。あと、今回はハロプロはあんまり関係ないです。ここに書くことには過去や現在のアイドルたちを思いっきり否定しているものがあるかもしれません。一個人の理論として、「こんなこと言ってる人もいる」くらいに割り切って読んでいただけたら嬉しいです。

この記事のタイトルは、あえて区切ると「好きな / アイドルの曲」です。「好きなアイドル / の曲」ではありません。また、アイドル≪の≫曲、であって、好きな「アイドル曲」ではありません(これ重要)。

以下、本題に入ります。

 

イドル*1 の魅力って何だろう。この点についてファンはそれぞれ自分の思いがあるはずで、それを否定するつもりは毛頭ありません。自分が考えるアイドルの本質を大事にしてください。私自身についてみても、初めてファンになった中学3年のときから今までにアイドルの良さだと思うところが変わってきていますが、昔の自分を “分かってないなぁ” なんて腐す気にはなりません。

今の私が考えるアイドルのいちばんの魅力は、うまく言葉にできませんが自分なりに表現してみると、それがメンバーにとっての本気の自己実現の場であることです。私はアイドルをすることは彼女たちの「全力の」「青春の」「腰掛け」であってほしいと思っています。*2

 

れでは、アイドルの楽曲の良さって何だろう。アイドルが歌ってさえいれば曲自体はなんでもいい? 私はそうは思いません。アイドルにしか歌えない曲、アイドルが歌うからこそ出る趣というものがあるのです。

「アイドル曲」「アイドルソング」というと元気のよいラブソングと応援歌が代表的です。私もそういうの好きだし、アイドルに重要な一つの曲の系統だと思います。また、ある程度キャリアを積んでくるとファンへの感謝を綴ったような曲を出すこともよくあります。しかし私のいちばん好きな「アイドルの曲」はこのいずれでもありません。

 私は、中高生である今が永遠には続かないこと*3、自分たちが大人になって変わってしまうこと、今の親友といつか別れてしまうこと、といった主題を歌った曲がいちばん好きです。我ながらしっくりきてはいませんが、本稿ではこれを「未来感傷曲」と呼ぶことにしましょう。たとえば、Berryz工房の『友達は友達なんだ!』『サンクユーベリーベリー』、重ピンク&こはっピンクの『宝の箱』などがそうです。*4

実は、このようなことを考えこの記事を書こうと思ったきっかけはラブライブ!です。前回の記事でもちょっと書いたように、今年度から所属しているコミュニティにその方面のオタクがあふれていた影響でラブライブ!やアニメに多少詳しくなったんですが*5、その過程で知った『SENTIMENTAL StepS』という曲が、いま言ったことにドンピシャにハマっていて。*6 人生、意外なところから視野が広がるものです。

 

のような曲を、アイドルとしての全盛期後半かそれを少し過ぎた頃、具体的に言うと主力ないし年少メンバーの高校生年代の終わりから成人前に出してもらえると最高です。ここで強調しておきたいのは、こういう曲はリリースのタイミングが非常に大切だということ。昔にも書きましたが(我武者LIFEと℃-ute の終わりを参照)、曲はただ曲としてあるのではなく文脈の中にあります。誰がいつ、どういう状況にあるときに出したのか。また、リリース後のライブでのパフォーマンスによって新たな意味を持つようになることもあります。曲は文脈の中に生き、不断に生まれ変わり続ける。*7

 未来感傷曲はメンバーが若いうち、また活動初期に出しては薄っぺらくなってしまいます。*8 中学生年代ころから活動を始め、元気なアイドルソングを中心に若々しい活動を積み重ね、年月とともにスキルをつけ心身ともに成長しピークの時期を迎え、それが終わろうとしているときが最適なタイミングです。歌詞では「中高生でなくなる」「大人になる」「友と道を分かつ」というようなことを歌っているのに、そこに彼女たちが「アイドル性の峠を越す」「アイドルを卒業する」「(アイドルをやめることにより)今一緒に活動しているメンバーと離れる」という意味が隠喩される。歌っている側はそれを自覚*9 し、ファンも言葉の奥にもっぱらそれを読み取る。それこそが未来感傷曲の醍醐味だと思うのです。

 

う書くと、読者の皆さんには、どうも筆者はアイドルを終焉や凋落に価値があるものと思っているようだと感じられるかもしれません。私はピークを過ぎたアイドルが下り坂でもがくさまに最大の面白さを感じているのではないと思っていますが、このように指摘されたときに全面否定することはできません。アイドルの中核的な価値は「儚さ」にあるんだと、なんとなく思います。この記事の最初のほうで、アイドルは「全力の」「青春の」「腰掛け」であってほしいと書きました。きっと私は、青春を投げうって頑張ること、そうした日々の成果が有形無形に現れること、しかしその彼女の青春は長くないこと、そして終わってしまえばアイドルとしてこの世に生み出したものごとは一気に過去のものとして褪せてゆくこと、これらをアイドルの本質的な趣だと感じているのです。

魔法少女まどか☆マギカ』というアニメ作品の中で、インキュベーターは宇宙の熱的死を回避するために感情変動のエネルギーを取り出す技術を開発し、少女の絶望に伴う感情変動をそのメインターゲットとしました。少女は夢(「魂をかけるに値する願い」)に惹かれて契約し魔法少女となり、形式的には夢が叶ったのにその因果で望まぬ世界が生まれどんなにもがいてもそれを解消できず、最終的に絶望して魔女に堕ち大量の感情エネルギーを放出します。必ず絶望することになると知っていながら夢をちらつかせて次なる少女に契約を迫るインキュベーターを、我々視聴者は巨悪とみなします。他者の人生を消費し、輝きを涸れるまで搾り取って用が済んだら捨てる、なんと許しがたき所業か。ところで、アイドルファンの私やあなたがアイドルに向ける視線にはインキュベーターに似た嗜虐がありはしませんか。

*1:私はハロプロ以外のアイドルのファンではない(別にハロプロこそ至高と思っているとか非ハロに敵対意識を持っているということはなくて、他陣営は好きでも嫌いでもない、ノータッチですということ)ので、私がする3次元のアイドルの話は基本的にハロプロなんですが、本稿で書いていることは “ハロプロだから” というよりはアイドルに一般的な(であってほしい)ものだと思うので、「アイドル」と書いています。

*2:この言葉の意味を特には説明しませんが共感できる人はしてください。理解の補助になるかもしれないことを一つ言っておくと、私にとってアイドルのピークは高校生年代です。それは、外見的な魅力でも、内面的な魅力でもそうです。

*3:Berryz工房のラストコンサートでのMCで、徳永さんは「12年半、ハロープロジェクトBerryz工房をやらせてもらって、2つ気づいたことがあります。ひとつは、時間は止められないこと。」と言い、須藤さんは「今日で終わりだと思うとすごくさみしいし、こんなに素敵な空間を守ることが出来なくて本当にごめんなさい。」と言いました。そういうことです。

*4:サヨナラのかわりに』『桜→入学式』のような卒業・入学ソングには幾らか似た要素がありますが少し違うと感じています。

*5:私のほうから彼らにハロプロの布教はしてません。ゴメンナサイ……(?)。

*6:このブログの読者には知らない人も多いと思うので歌詞を少し紹介します。1番の「楽しいと思う今を 保存したい気持ち 初めて感じたんだよ」もいいんですがストレートすぎて、個人的には以下に引用する2番以降の歌詞が秀逸だと思います。(はてブロでの歌詞引用にジャスラックがうるさいという噂を聞いています。何か言われたら引用は削除します。)

見えないだけで本当は 少しずつ成長してるって
タネを埋めた場所からは 小さな葉っぱが歌いだす

季節がいつの間にか塗り替えていった
街の色に気付いたよ

(中略)

気のせいだよね いつものみんなだね
ふざけて駆けあし 転びそうだ
待って 待って どこか寄って帰る?

すれ違っても わからないくらい
君もぼくも大人になった頃が想像できない
だってずっと一緒だから

 

*7:しかし、当たり前ですが、その「文脈」はファンでない人は全く知らないことです。他ブログさんのこの記事(私が好きな"モーニング娘。"の話。 - 青猫文具箱)でもそのようなことが書かれていて、共感しました。私がさきほど『SENTIMENTAL StepS』を紹介するだけして、「聴いてみてください」と言わなかったのはこのためです。友友でもセンステでも、この手の曲の良さは文脈ありき、そのアイドルがこれをリリースするまでに歩んできた過去があってこそのもので、それを知らない外部の人がひょいと曲を聴いてもただの薄っぺらい塩曲です。
皆さんも自分の好きなアーティストの曲を誰かに薦めるときは、ファンだから良さがわかるというような曲を最初に薦めてはいけませんよ。そういうのは、キャッチ―な曲で相手を取り込んでからすることです。

*8:まあ、出すだけ出しといてのちのちライブで育てるという戦略もアリはアリですが、出した時点でのダサさはこの上ないし、ファンとしてはそんな早いうちから終わりのことを意識したくないです。

*9:どうでもいいようで個人的にすごく重要なのは、アイドルにはプロデューサーがついていて楽曲もセルフプロデュースではない点です。未来感傷曲で歌うような内容は、アイドル自身の中から出てきてはいけない。それを思いつくことはあってもよいけど、直視することを避けて無心で “今” に打ち込むようでないといけない。ああいうことを真剣に悩む時期に入ったら、既にそのアイドルはアイドル性を大きく失っている。未来感傷曲の歌詞は、プロデュースサイドからアイドルに与えられ実際に声に出して歌うことを通じて初めてアイドルの中に自分のこととして根付くものでないといけません。

なぜこんなことを言うかというと、ラブライブ!の劇中ではμ'sはセルフプロデュースという設定になっているからです。μ's曲の歌詞は園田海未を中心にすべてメンバーが書いているということになっています。しかしセンステの歌詞が高校生の彼女たちから出てきてはいけないんです。作中設定から離れて現実には、ラブライブ!の楽曲は全て畑亜貴が作詞しています。私は、センステに関してはμ'sプロデュースという設定から逸脱して事務所提供楽曲として解釈しています。

ハロプロ社会の上下関係

いぶん久しぶりの更新です。前回更新から1年以上空きました。

私のハロプロ熱が下がっているとか、今年度に新しく入ったコミュニティがラブライブ!のファンであふれていて幾分そちらのコンテンツに浸っていたということとは関係なく、このブログはもともと この話(下リンクに同じ)を文章にして自分の気持ちを整理したいとずっと思っていたところ一念発起して建てたもので、あと他に考えていたことやその場その場で浮かんだネタを記事にして、書きたいことが尽きたら放置される運命にあったまでのことです。

ukikusa.hatenadiary.com

 

ご挨拶は以上にして、本題に入ります。

2月2日はモーニング娘。’17牧野真莉愛ちゃんの誕生日でした。それで9期10期がサプライズをしたそうなんですが、これがちょっとひどいんじゃないか*1 ということで一部で炎上していました。

この件自体について評論することは控えます。ここでは、実は今回の件とは関係ないような気がしていますが、(Twitterで誰かが言ったのかな、)一連の騒動を見ながら何となく考えていた、モーニング娘。ひいてハロプロの上下関係について書きます。

 

ロープロジェクトには先輩後輩の序列があって上下関係が厳しいものと一般に認識されています。その年次の上下の決め方が、昔はただデビュー順でよかったのが、エッグや研修生ができてくると複雑になってきて、その一端がたとえば、2011年に鞘師里保(2010年のオーデ合格で直接11年にデビュー)が宮本佳林(08年にエッグ入りし11年当時もエッグだった)を「かりんちゃんさん」と呼んだこと*2 とか、エッグに入った順番とメジャーデビューの順番が入れ替わっている工藤遥高木紗友希の関係性に現れています。

世間も、今のハロプロを知っている人なら上記のような状態から、知らない人なら全盛期のモーニング娘。*3 がテレビでやっていたことを見て、ハロプロには体育会的上下関係があるものと思っているでしょう。

 

しかし、このような認識は必ずしも正しくありません。たとえば娘。内の上下関係は、あるとき人為的に作られ、一度消滅した後、再度復活したものです。以下にしばし、娘。内の先輩後輩関係について沿革を概観します。(私が視聴した限りのASAYANハロモニ、うたばん等の動画、ラジオ音源を主な資料としているため、不正確なところがある可能性をご了承ください。詳しい方には積極的にコメント等でご教示頂けると幸いです。また、いわゆる狼脳的な見方をしていることを自覚しています。)

 

1期と2期の間には、先輩後輩という観念はほとんどありません。3期の後藤真希は、年齢や見た目のインパクトやグループのプロデュース方針を大きく転換させたことから当初は1期2期と距離があるようでしたが、圧倒的な実力もあってかやがて友好的に受け入れられました。4期も、辻と加護が社会人としての振る舞いをわきまえていない点を問題視してシメたところはあるかと思いますがおおよそ同様です。この時代には、後輩から先輩へのリスペクト、先輩から後輩への思いやりという付き合いは当然ありましたが、基本的にどの期のメンバーも序列を意識することない対等な関係でした。誰でも中澤さんを「裕子ちゃん」「姐さん」「おばちゃん」と呼ぶことができました。

 

潮流が変わったのは5期加入のときです。5期加入が娘。にどういう影響を与えたかということはまた機会があれば書きたいと思いますが、結論を言うと少なくとも加入時点での5期は一世を風靡するトップアイドル・モーニング娘。を名乗るに相応しいレベルにありませんでした。

このとき中澤さんは既に卒業していてリーダーは飯田圭織さんでした。悪く言いたくはないのですが、婉曲的に言って、飯田さんはプライドが高すぎました。*4 彼女(と安倍さんも若干)は5期と自分が同列に扱われることを嫌っていました。それで理不尽な後輩いじめみたいなことをやることになった、この頃に初めて出てきたのが上下関係です。間もなく5期メンバーは先輩を敬称をつけて呼ぶよう教育され、*5 いまどき野球部でもやらないような上下関係に服することになりました。同じく飯田政権下に加入した6期*6 も、一時ほど厳しくないにせよ同じ文脈で語ることができます。

 

再び潮目が変わったのは吉澤リーダー期です。「アットホームなモーニング娘。」とは高橋愛さんがリーダー時代に言っていたことですが、その源流は吉澤期にあります。吉澤さんはメンバーを厳しく締め付けるようなことをしませんでした。全盛期を支えた一人である彼女*7 にはカリスマがあったのでその必要もありませんでした。その親しい間柄から、吉澤さんを名誉5期と呼ぶ人もいます。7期の久住さんには手を焼いていましたが、度が過ぎるときはシメていたし、信頼されていたと思います。政権末期に加入した8期の光井さんはあっという間に舎弟のようになっていました。

プラチナ期も、先述の「アットホーム」という標語に象徴される通りこの路線を引き継ぎました。厳密には高橋リーダーの統治と吉澤リーダーの統治は性質が違います。吉澤さんの放任路線は、その実は各メンバーと吉澤さんとの間の体育会的な信頼を礎に成り立っていました。吉澤さんはいちいち口を出しませんが、シメなければならなくなればシメる力があり、藤本さんも一目置いていました。ただ放っているのではなくちゃんと一人一人を見ている、そのキャプテンシーに他のメンバーがついていきました。高橋さんのアットホームは、それに比べると少し馴れ合いに近いものです。高橋さんは他人に強く出られない人でした。根本的に自分に自信がないというのが一つと、もう一つは、リーダーになる前から6期は愛ちゃん愛ちゃんと言ってみんな懐いていましたが、その関係を壊す勇気がなかったのだと思います。プラチナ期のアットホーム路線は、グループ内で異常なほど偏って大きな役割と責任を背負う高橋さんと、他メンバーとの精神的な相互依存の結果だと考えています。

細かい話はともかく、プラチナ期が、それまでで最もメンバー間の立場が近かった時代だったのは間違いなく、それが今でもプラチナ厨を惹き付けている一つの結晶を作ったことは特筆すべきことです。

 

しかしまた揺り戻しが起こりました。9期の加入です。

9期はモーニング娘。にとって実に4年ぶりとなる新メンバーでした。また、年長順に24,22,21,21,17歳だった既存メンに対して、9期は14,13,12,12歳でした。この年齢と芸能人スキルの隔絶は5期加入時を彷彿とさせるもので、さらに既存メンは後輩との接し方というものを忘れてしまっており、新人側も先輩に畏まるという図式ができました。やがて高橋さんが抜け、10期が入ったときに残っていたのは、過去に激しく先輩に虐げられた新垣里沙、人付き合いをまったくしない田中れいな、はっきり言って腹黒い道重さゆみ、吉澤・高橋両リーダーに舎弟のように仕えてきた光井愛佳でした。ここに プラチナー2011年加入組 という圧倒的な序列がにわかに浮かび上がり、それとフラクタルな 9期ー10期 という関係も併せて顕在化することになったのです。

1年後、11期加入の際にこの流れは決定的なものになりました。このときには新垣さんと光井さんは卒業していて、娘。内の人間関係は若く人数が多い9期10期が中心、それを蓮池のふちからビジネスライクに道重・田中が眺めているという構図でした。ここに独り入った小田さんがグループ内での立ち位置を固める過程で9期10期との間に歴とした溝を作りました。私は率直に、これは11期が単独加入だったことが悪く作用したと思っています。

 

道重リーダー期の道重さんと他メンバーとの関わりは、吉澤リーダーのそれに近いものがありました。道重さんも、リーダーになったころにはグループ内融和に努めていたように思いますが、吉澤期のように後輩間の人間関係をほぐすまでの指導力はありませんでした。*8

そして田中・道重の卒業後、上下関係がある状態しか知らないメンバーたちのなかに、12期、13期が迎えられ、はたして上下関係に取り込まれて今に至ります。(概観終わり)

 

上のように振り返ると、上下関係はモーニング娘。に常に付随したものではないことが分かります。私の個人的な見解としては、グループ内での先輩・後輩の上下関係は必ずしも要らないと思います。それが機能する場面があるのは認めます。どういうときかというと、経験や力量の差があって現実に先輩が敬うに値するときです。5期加入時、9期加入時は、そういう意味では上下関係は生ずべき状況だったといえます。前者はやり方が過剰すぎましたが。

さて今の娘。を見ると、私に言わせれば、そのような関係は必要ない、むしろ「ない」べきです。変な序列を作るより、一枚岩になって頑張ることが大事だと感じます。馴れ合いになってはいけませんが(若い人たちは規律で縛らないとそうなりがちです)、吉澤さんや道重さんのようなカリスマもいないことですし、プラチナ期的なアットホームなグループを目指すべきです。

しかし展望はというと、これから娘。がそのようになれるとは思えません。さきほど軽く述べましたが、上下関係がなかったときを知っている現役メンバーが一人もいないのです。吉澤さんは5期が入るまでかなり先輩と打ち解けていたし、いわゆる「派閥」に属さず、フラットに人を見ることができる人でした。そのような人が上に就いたからこそ吉澤期はあのようになりました。しかし現メンにその再現を期待をすることはできません。

 

ーニング娘。についてはここで切り上げて、他のグループについても少しだけ見てみましょう。

完全なる同期だけで構成されている今の℃-uteには上下関係は当然ありません。エッグ・研修生入りした時期は異なるがデビューは同時のJuice=Juiceなども同様です。

メンバーの加入・卒業を繰り返しているアンジュルムカントリー・ガールズ内には上下関係がありますが、その程度は緩いものに見えます。*9 アンジュルムスマイレージ時代の1期2期関係はやや断絶させられたものがありましたが、*10 個人的には3期を迎えて改名した後の2015年の雰囲気が特によかったと思います。カントリーは、どうしても嗣永さんが圧倒的に格上で同列に並べられることができない構成でしたが、後輩に「ももち先輩」と呼ばせ本人が積極的にお局キャラを演じることで一応の解決を図りました。

 

下関係は必要ではないし、そこにハロプロの本質はありません。あったほうがいいときには導入し、必要がないときには努力してでも廃止すべきです。また、一度出来上がった関係は、時間が経つにつれて形骸化されるべきです。新人と3年選手の経験・力量の差は大きいですが、5年選手と8年選手はパフォーマーとして対等な場合がままあるのです。

この記事では、グループ内での人間関係に注目して論じてきましたが、ハロプロ内でのグループをまたいだ関係でも原則は同じです。ただ、同じグループの仲間と比べて共に過ごしてきた時間が少ないために、幾らか距離が離れ、畏まった関係になるというわけです。

*1:簡単に言うと先輩たちがマリアをわざと理不尽に厳しく叱って泣かしたということです。事の顛末は 工藤ブログまとめサイト を見てください。

*2:

【魚拓】始めましてヽ(*・ω・)ノ 鞘師里保 | リボーン~命のオーディション~

*3:私の用語法では、「黄金期」は再狭義ではいわゆる “黄金の9人” で活動していた一瞬、最広義では3期加入から『ザ☆ピ~ス!』までを言い、「全盛期」は5期加入から2003年あたりまでを指します。

*4:単刀直入に言ってしまうと、当時の娘。の地位はほとんど3期と4期によって築かれたものなのに、そして本人も3期4期に自分の立場が押されていることを内心勘付いていながら、それを否定するために娘。の繁栄を自分たち1期2期の手柄と信じようとしていたきらいがあります。

*5:少し後には、5期6期が矢口さんを「やぐっつぁん」と呼んでいいのかなんて論争が少しあったりしました。矢口さんは正直どうでもいいと思っていた気がします。

*6:この記事では、6期とは、亀井、道重、田中の3人を指します。藤本さんを実質的に4期だと整理したほうが都合がよい場合は多いです。

*7:吉澤さんが、個人としてヲタ人気がなかったために他の3期4期メンのように早期に娘。から切り離されずに残され、それが塞翁が馬、(後藤・辻・加護・石川がソロやバラ売り用ユニットで失速していったことと対照的に)娘。リーダーになって高評価されて得をしているということは否定しません。しかし、そうであってもなお、吉澤さんが全盛期のメディア露出の中心の一人であったこと、一般認知度は一流と言って余りあるものだったこと、対外的に娘。を代表するに相応しかったこと、そして対内的に圧倒的な求心力を持っていたことは疑いない事実です。

*8:尤も、吉澤期に5期6期の仲が良かったのには、彼女ら7人の歳の近さ(86年度生まれが1人、87年度~89年度生まれが各2人)や、5期の友好的な性格、共に飯田さんにいびられたことによる当初からの結束などの要因が寄与しているでしょう。

*9:というか、どうして娘。は殺伐とするのか、娘。だけが特別に異常なんじゃないかと思います。エッグ・研修生出身でない人が多いことが影響しているのかもしれません。

*10:スマは2期が入った当初は典型的な馴れ合いグループでした。そもそも初期メン4人がエッグ以来の仲間で馴れ合い気質がありました。そこに入ってきた2期は初めは友達のような調子でいました。仲が良かったといえばよかったし、福田さんはどうでもいいと思っていただろうけど和田さんはそういう方向を望んでさえいたんじゃないかと想像しますが、当時のマネージャーの指示で先輩後輩のけじめをつけることになりました。

この記事の中盤で娘。について長々と記した中では、メンバーによる自治を前提にしていますが、実際にはそのときどきのマネージャーの影響もあるのだと思います。ここで個人的意見を加えると、オンステージとバックステージとプライベートの人間関係はそれぞれ区別できて、他の場面での上下関係の有無にかかわらず、バックステージ(仕事の場のうち、客前やカメラ前に出ていないところ)では後輩は先輩を敬った態度をとるのが礼儀です。なお、マネージャーによる指示は、本来このバックステージに限定した意味でなされなければならないものです。(オンステージの振る舞いに指示を出す権限があるのはプロデューサーです。プライベートには何人も干渉することは許されません。)

キモオタク的楽曲研究 ドキラブ編

モオタク的楽曲研究ということで、私が曲を聴いていて考えたことを書いていきたいと思います。シリーズ化するかも?今日の題材は、松浦亜弥のデビューシングル、ドキラブこと『ドッキドキ! LOVEメール』です。

 

『ドッキドキ! LOVEメール』は大好きな曲の一つですが、実は今までずっとしっくりきてないことがあって。この曲の主人公は誰なのかなと。それが、発見があって自分の中で納得する結論が出ました。結論から言うと、あやや本人です、たぶん。

歌詞(参考)を見ていて今までは関東在住の中学1年生か高校1年生だと思ってました(大学生にしては幼すぎるし歌ってるあややは当時中学生)。一番の歌詞を、進学して行動範囲が広がって下北まで遊びに行き始めるようになったという意味に読んでたんですね。

でも、つんくさんのコメントによると、主人公は下北沢在住の女の子なんだそうで。(リンク

これを知って初めは「は?」と思いました。「下北にも慣れた(中略)次の休み来たら新しい道を歩いてみよう~♪」って言ってるけど、下北に住んでるのに今更下北に慣れるのはおかしいし住んでるなら休みじゃなくても好きなときに好きな道歩けるじゃないかと。

でも、この疑問を解く鍵も、さっきのつんく♂コメントにあったんですね。つんく♂さん自身が、若いころ上京してきて最初に馴染めた街は下北沢だったと。
あっ、じゃあこの歌の主人公も他所から上京してきたんじゃね?って閃きました。

休みじゃないと散歩もできないなんて相当忙しい人だから、芸能人とかかな、というところまで想像します。
つまり、芸能活動するために地方から上京してきた中高生。
あれっ、ひょっとしてこれあややじゃね??

……で、調べてみたらあややは姫路出身で。ピッタリじゃないか!(*^▽^*)
(ホントは下北沢じゃなくて違うところに住んだと思うけど細かいことは気にせず、ここではそういう設定にしておこう!!笑)

さあ、もうお分かりですね?
まとめると、主人公はあややで、さっき挙げた歌詞は、「ハロプロからデビューするために上京してきて住んでる下北沢にも慣れてきたから、今度お仕事が休みのときにはちょっと冒険したお散歩をしてみよう」っていう感じに解釈すると良いんじゃないでしょうか!(*´▽`*)

 

ういうの、つんく♂さんにツイッターで「こんなこと考えたんですけど、実際のところどうなんですか??」とか聞いてみたいけど、全然違ったりしそうで怖くて聞けない。これ読んだ方、どなたかお願いします……。

98年組の崩壊

2016年ですね。私事でバタバタしていたら1月も中盤になってしまいました。地味に元日にエントリ入れてるんで新年初投稿ではないんですが、気分的には今年のブログはこの記事で始動という感じです。

 
2015年の末には田村芽実の卒業発表がありました。この発表があったとき、「高3になる今年の春を目途に」というようなコメントだったので今年度中に卒業するのだと思っていたら、思いのほか5月までアンジュルムにいてくれるということで、彼女と事務所の両方の愛を感じました。*1 卒業自体に関しては、彼女が舞台女優志望であることは入ってきたときからみんな知っていたから、いつかそれを理由に卒業する日が来るということは分かり切っていて、それが今になったというだけというか、もちろん寂しいけど「行かないで」みたいな気持ちは少なくて、ただただ5年間ありがとうという気持ちです。めいめいが抜けるのは残念だけど、彼女がくれた思い出と残した功績に感謝しながら、本人の夢を応援してあげたいというのがファンの総意だと思います。スマがスキルメン軍団になってどん底の時代を生き抜きアンジュルムとしていま上り調子にあることは、彼女の貢献なしには語れません。
ところで、スマイレージの2期メンバーが卒業するのはこれが初めてなんですね。私のハロヲタ人生を語るうえで外せないスマ2期ですが(参考)、彼女たちも卒業が有り得る段階に差し掛かってきている。時が過ぎるのは速いものです。
 
ァンとしてめいめいを暖かく送り出してあげたいと思いますが、94年組から98年組にハローの主力がシフトしてきたこの時期に、98年組の象徴だったスキル3本柱(鞘師里保田村芽実宮本佳林)の2本が立て続けに抜けてしまうのは悲しいことです。彼女たちは、歌良しダンス良しオーラ良しのステージ万能メンであっただけでなく、メンタルに覗く闇とか孤高のプライドとか、共通した雰囲気をまとっていて、本人たちも関わりは少ないながらお互いをリスペクトしあっていたようだし、一緒に何かやったらきっと面白かっただろうになぁという心残りがあります。私はカリンのアイドル哲学を尊敬しているけど、盟友が相次いで去って今まで以上にたくさんのものを抱え込んで苦しそうにするカリンを見るのは胸が痛くて、心配しています。
これから先は、研修生(エッグ)叩き上げのカリンと室田瑞希ちゃんがツートップという感じで98年組を引っ張っていくのでしょうか。ハロプロハロメンと去りゆく二人に輝かしい未来のあらんことを。

*1:(追記)……と、この記事を書いたときは無邪気に感じていたけれど、ハロプロのデビュー時の事務所との契約が5年契約でこの間に自分から辞めることはほとんど不可能ということは紺野さんが身をもって示したことで、田村さんもオーディションを経て2011年6月ころから契約をしていたというだけのことでしょう。

人気って分かんない

今日も簡単に(のつもりだったけど案外長くなった)。

 

コード大賞のあとにはハロプロ楽曲大賞がありましたね。私としては、楽曲部門は思ってた通り、その他は意外(不満じゃないです。コレ大事)が多かったです。やっぱり思ったのは現場に行かないと人気って分からないなってことです。推しメン部門(リンク)で鞘師里保佐藤優樹に負けたこと、鈴木香音小田さくら工藤遥より上だったこと、それと私が個人的に推している室田瑞希稲場愛香の順位はどれも意外でした。

 

ほりほがまーちゃんに負けたっていうのはほんとにびっくりです。今までずっと鞘師が上だったし事務所に推されてきたし卒業補正もあるのに。リホデリなくなったり精神的に参ってるのがもろに見えてたりで魅力が下がったんですかね? まあ、鞘師が伸び悩んだというよりは佐藤の爆上げが驚異的なんですけど。

ズッキは顔は可愛いし明るいので好きな反面いろいろメンタルとか問題ありげなイメージですが人気衰えませんね。小田が伸びてるのはTwitter見てて感じてたけど工藤より上に来るとは。ビジュアルをスキルで逆転した? くどぅーはいつまでたっても掴みどころがないというか「"キャラがない"キャラ」みたいになってるの大丈夫ですかね。ポテンシャルはあるのに。心配です。

むろたんとまなかんは衝撃です(ちなみに私は稲場ちゃんに投票しました)。二人とも正規メンとしては新人だけど研修生上がりでファンを持ってると思ってたし、顔もスキルもキャラも良いと思ってたから。室田さんはアンジュルム初期2期の全員に負けてるどころか3期でもドベでした。いなばっちょは嗣永桃子を別枠とすればカントリーの中で一番人気だとてっきり思ってました。年上メンだけど総合力というかアイドル性が飛び抜けてるように見えるので。だけど森戸知沙希ちゃんと島村嬉唄ちゃんより下でしたね(嬉唄ちゃんがカントリー内で桃子に次ぐ2位だったことは正直良くないと思った)。

 

は元々在宅が長かったし、接触イベには参加したことがなく、2014年に何度かコンサートに入ったけど15年は行ってなく、主に楽曲を聴いてライブ映像とブログをたまに見て好きなメンバーがラジオやってたら気まぐれに聴いてみたいなヲタ活をしてて、人気って分かんないなって感覚です。もちろん好みは人それぞれで、自分の感覚が客観的だとか典型的だという保証はどこにもなく、自分が思う人気と現実が違ったからといってそれが何なんだという話ではありますが昔と今とで人気形成要素の重心が変わってきているということは言えると思います。

今のハローの活動の中心は接触イベントだという状況があります。ハロメンのメインの仕事は05年くらいまでなら「テレビや雑誌に出ること(ビジュアルとキャラのアピール)」、10年頃までなら「ハロコンと単独ツアーで歌って踊ること(ビジュアルとスキルのアピール)」だったのが今は「接触イベをすること」だと言ってよいでしょう。だからそこでの対応がすごく重要なようです。Berryz工房の終わりの方の夏焼雅はビジュアルが相当キツイことになってたと思いますし(私は雅ちゃんの顔がもともと好きじゃないです、そのうえで2012年以降はさらにうーんでした)トークは(これはデビュー時からずっとそうですが)その場で少ない語彙で適当になんか喋ってるだけで、なぜ人気があって推されポジに居続けてるんだと思ったら握手対応は神だったらしい。握手対応が良いことが大事なのは分かるしそれが人気につながるのは普通のことだと思うけど(桃子だって推しメン部門6連覇するほどの圧倒的地位*1に上り詰めた原動力のひとつはファン対応だろう)、今やあまりにも影響力が大きいそのパラメータは接触に行ったことがない私には知り得ないことなので、人気が読めないということになるわけです。

 

れこれ書いといて元も子もないこと言っちゃうと推しメン部門ってモノ自体がそもそも難しくてよく分かんないものですね。1推しとは何かっていう気分になって投票するときすごく悩みます。14年は清水佐紀ちゃん、15年は稲場愛香ちゃんにしましたが、今年2016年に誰に投票するかは全く分かりません。現役にしか入れないポリシーなので嗣永稲場室田愛理のうちの誰かになるでしょうか。他の部門みたいに順位付けての複数投票制にしたらもっと実態に正確になって(正確ってなんだ? 実態とは?)面白い気がしますが、それをするとあんまり生々しい結果が出てしまってアレかもしれません。単推しを基本とするガチヲタの清々しい気持ち悪さが建前として出ている現行制度はそれはそれで良いものです。

 

*1:とは言っても、ベリコンはともかくBuono!のライブDVDを観ると愛理が圧倒的に人気なのがコールからも客席の色からも明らかで桃子がかわいそうなくらい。やっぱり人気って何なんだろうね。分かんない。

娘。小説の設定

はほとんど下火になっているようだけど、2001年から2005年頃にかけてネット掲示板ハロプロの創作小説が盛り上がっていた。「娘。SS」とか「ハロプロ小説」でググってみればその有名なものに触れることができる。このこと自体はずっと前から知っていたけど、オリジナルコンテンツから二次創作として妄想を書き連ねて内輪で褒め合ってるなんて気持ち悪いという感覚があったのか(基本的に同人界隈に対してこういう見方がある)それとも単純に他にもっと見たいものがあったのか、私は現実以外のストーリーに目を向けてこなかった。しかし、先月さゆロス展に行って感激したことが関係してか今ではファンが作り発信するコンテンツへの見方が変わってきた。

メンバー間の人間関係はいつの時代もファンの関心事の一つ、なかでもやはり仲の良い組み合わせは想像して楽しい。歴代のモーニング娘。カップリングとして有名なのは「いちごま」「いしよし」「さゆえり」だと思うが、私はとくに石川梨華×吉澤ひとみの「いしよし」が好きだ。同じ思いのファンはたくさんいたらしく、ハロプロ小説のなかにはカップリングものがジャンルとしてあるのだが1444(いしよしのこと。平仮名が続くと読みにくいので適宜この表記を使う)は一時これの主流だった。ゆえに作品数が多く名作として語り継がれているものもある。そんな中たまたま目についた『水魚なふたり』を読んだのをきっかけに、目下私は娘。小説にハマっているのだ。

 

の世界を好きになって日が浅いのでまだ1444をいくつか読んだ程度だが、*1 それでも複数の作品を読むうちアンリアルもの*2 のキャラ設定に共通点が見えてきた。そしてそれはハロモニや現実のエピソードに基づいたものだ(気付いた瞬間「私も娘。に詳しくなってきたなぁ」と嬉しくなる)。以下に例を挙げよう。

 ・学園もので保田圭は写真部の部員か顧問:一時期保田はカメラに凝っていて常に首から提げていたので。

・保田が石川の姉貴的ポジションになる:梨華ちゃんが娘。に加入したとき圭ちゃんが教育係として付いたことから。

藤本美貴のツッコミがきつい:ツッコミキティに逆ツッコミキティ

加護亜依が(似非っぽい)関西弁を使う:あいぼん奈良県出身なので。現実の加護ちゃんはテレビでは全く訛らないから関西弁の印象がないがプライベートでは使うらしい。

・石川は美的センスがない:2002年12月のハロモニ裁判で、私服のセンスが悪すぎるとして「ワイセツ物陳列罪」で訴えられ有罪になったことから。

・やきそばが出てくる:『うたばん工業高校文化祭』で梨華ちゃんとよっすぃ~が焼きそばを作ったため。*3 また、辻希美ハロモニでゲームに負けて焼きそばを食べられず泣いたことがあるため。さらに、「梨華ちゃんが作った焼きそばはトイレの臭いがする」と辻が言ったことがあることから。これに関係して梨華ちゃんの料理下手(or 今は上手だけど昔は下手だった)設定も。

・吉澤が体型について口にする:2002年夏と2003年夏に吉澤がかなり太ったことから。その前後も断続的にぽてぽてしていたが03年の暮れにはほとんどスッキリし、04年からはイケメンお姉さんとして完全復活した。

 

このくらいにしておこう。他にもあるだろうけど記事が間延びするので!

上に挙げた元ネタの分かっている設定のほかに、テンプレだと気付いたけど何が元ネタか分からないものがある。今のところ以下のふたつ。

 ・石川が初め携帯電話を持っておらず、物語の途中で買うけど使い方が分からず吉澤などに教えてもらう:当時はケータイ持ってる人と持ってない人がいたっていうただの時代背景なんだろうか。でもいつも梨華ちゃんが持ってなくてよっすぃ~に薦められて買うパターンで逆はない気がする。確かに梨華ちゃんは家庭が比較的厳しいというか両親によく目をかけられてるイメージはある。あと、確か2005年6月頃のちゃんちゃかチャーミーで「最近やっとパソコンが使えるようになりました」みたいなことを言ってて、機械に弱いのかなと思ったけど当時からそういう扱いだったのだろうか。

・学園もので石川が吉澤や後藤真希との初対面時に敬語を使われて「敬語じゃなくていいよ」みたいなことを言う:これが一番謎。梨華ちゃんがよっすぃ~にこれを言う*4 機会があったとしたらオーディションのときか加入直後だろうけどその時期の梨華ちゃんはあからさまに根暗そうだったからこんなこと言うイメージがない。ごっちんに関してはそもそも加入した期の関係上、梨華ちゃんのほうが敬語を使ってごっちんがいやいやタメ口でいいですって言う立場のはず。したがって現実のエピソードでこれを説明するのは難しそうだ。小説内で吉澤と後藤は必ず同級生で石川は彼女らと同学年の場合と一学年上の場合とがあるのだが、とりあえず現状での仮説としては、同学年設定のときのこのセリフは「作者の戯れ」(現実で学年の違う連中を物語内で同級生にしている虚構をメタ的に指摘して楽しんでいる)、先輩設定のときのこのセリフは「物語進行の都合」(学校で後輩が先輩に最初からタメ口で喋るわけにはいかないけど早く仲良くなってもらわないと困るから)というふうに解釈している。つまりは小説限定の約束事なのかなと。

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*1:ところで、読むうちに私は百合エッチとかドロドロした肉体関係の描写が苦手だということが分かったから、プラトニックないしよし小説をあらかた読み終えたらカップリングでないものを読むつもりだ。最初に読んだのがとびきり清純な『水魚なふたり』でなかったら刺激が強すぎて娘。小説を好きになることはなかったと思う。

*2:モーニング娘。メンバーがモーニング娘。メンバーとして出てくるのがリアルで、年齢や身分などが脚色されているのがアンリアル。アンリアルの代表的なものは、学園ものとファンタジーもの。

*3:

www.youtube.com

*4:前提事項として、2001年には既に互いをニックネームで呼び合っていた石川吉澤後藤は三人とも1985年生まれだが梨華ちゃんだけ早生まれなので学年が上である。また後藤は3期、石川吉澤は4期メンバーである。

ハロメンのラジオ

近、移動中の電車などで、石川梨華の『ちゃんちゃかチャーミー』、道重さゆみの『今夜もうさちゃんピース』、嗣永桃子の『ぷりぷりプリンセス』、新垣里沙亀井絵里の『FIVESTARS』、真野恵里菜の『MANO-DELI』、鞘師里保の『RIHO-DELI*1 の録音を聴いている。今まで知識としては知っていたエピソードを本人の口から改めて聞けたり(さゆが小学校に行く途中でダンゴムシを拾って一日一緒に遊んでた話とか)、一部の決まりごとがラジオ発祥だったことを知ったり(桃子の小指がファンの愛を受信するアンテナであるという設定とか)、なかなか楽しい。りほりほは2012年の春を迎えた途端何の前触れもなく「ひゃっほい!」を言い始めた。

聴く番組はその場の気分で適当に選んでるけどそれぞれの番組のなかでは放送日の古いものから順に聴くようにしている。第1回から順に聴いてるものではたとえばこんうさピーは2007年8月、リホデリは2012年6月まで来た。

放送の年月日を意識していないと、番組中で流される「新曲」に驚くことがある。マノデリでスマイレージのインディーズシングルがかかったり、こんうさピーで胸スカが流れたり。私が普段している各グループを単独で時間軸の中に置いてあれこれ沿革を追うのを縦向きの思考と呼ぶなら、ラジオでのこういった曲紹介は特定の時期にそれぞれのグループが何をしていたのか相互に結びつけて意識させる、いわば歴史が横向きに繋がる瞬間だ。

ALL FOR ONE & ONE FOR ALL! のMVや昔のハロモニやDマガを見て驚いたことがあるから頭では分かっているんだけど、娘。の6期は意外とベリキューと歳が離れてて*2 端的なことを言うと6期は2005年頃から顔つきも雰囲気も大人びるのにキッズは2007年でもまだまだヒヨッ子という感じで、*3 こんうさピーに桃子がゲストで来たときの両者の様子は新鮮だった(私がハローを知ったころにはキッズも一人前になっていて、さゆと桃子の絡みは2011年の モベキマスってなに?? の印象が強いのだ)。そうかと思えば、その次に聴いたマノデリで真野ちゃんが桃子をタメで語ったりリホデリでりほりほが愛理nksk茉麻あたりをお姉さんとして語るから混乱する。笑

現在のハロプロも楽しいけど過去を発掘するのも劣らず面白い。それだけハロプロの歴史には深みがある。しばらくこれで楽しめそう、というか音源が膨大過ぎて聴き終える目処が立たないくらいだ。いつか昔のボノラジオ*4 も聴きたいのだけどどれだけ先になることやら。

*1:RIHO-DELIは最後の数ヶ月は生で聴いていたけどそれ以前を知らず。この番組で鞘師を好きになったので最初から追いたかった。

*2:キッズも6期もオーディションが2002年でその当時の年齢を考えれば当然っちゃ当然だが。

*3:℃-uteに至ってはメジャーデビューが2007年の春だ。

*4:トラボノになる前のMusicBuono!とCafe Buono!