ふわふわぷかぷか

波のまにまに漂うこころ

けものフレンズ、悪くないんだけどさぁ

先日最終回を迎えた『けものフレンズ』は2017年冬クールの覇権アニメでした。私は基本的にアニメを自分から見ることはなく、ツイッターのタイムラインで高評価をよく目にする作品を一度見てみて面白かったら翌週から毎週視聴するというふうにしていて、今期はけものフレンズを3話までネットで追いかけ4話からリアルタイムで視聴しました。

この作品、キャラデザや表面上の話の調子はゆるーくほのぼのした雰囲気を基調としながらも示唆的な描写*1 が各所にちりばめられていたことから、考察厨が多くみられましたね。ツイッターの「#けものフレンズ考察班」のハッシュタグとか。どういう楽しみ方をするかは観る側の勝手なので私の誹りに取り合う必要はありませんが、ごちうさが好きな人間でけものフレンズをかばんとサーバルの関係性などを中心に解釈していた私は*2ディストピア的な要素に特に注目して「考察」を巡らせる人たちには終始冷笑的でした。結果論では、考察厨の人たちが考えていたことのほとんどは無駄でした。最終回まで一貫しないガバガバ設定や匂わせたきり回収しなかった謎が散見されるけものフレンズはその方面では水準の低い作品でした。もちろん、空虚で無意味な内容であっても考えること自体が楽しいということはあるのでしょうが。

そういった背景もあり、オンラインの言論空間はけものフレンズにはなんだか知的ぶったというか高尚ぶったというかな称賛が溢れていて、論理的不整合の指摘を含めそれに対立することは許されないような空気で気味が悪いです。 

それにしても、12話のはじめのフレンズたちが勢ぞろいした場面を「熱くなった」「かばんちゃん(ヒト)とフレンズの強い結びつきが端的に表現されていた」「巧い構成だ」などと評する人には感性を疑います。あれはベタな少年マンガ展開と似て非なります。あの作品に通底していた人間のエゴの象徴に他ならない。その意味では確かに最終回にふさわしかったと言えます(皮肉です)。

それまで全くフレンズの呼びかけに反応しなかったラッキービースト(人間の製作物)が、ヒトの危機に際してだけネットワークを通じて全パークのフレンズに干渉して救出させるなんて、フレンズを仲間と思わず明確にヒトの下に置いて管理・利用・消費するというジャパリパーク設置者の醜い精神性の発露でしょう。私はフレンズとヒトとの隔絶の深さを知って眉を顰めましたよ。

ミライさんも、このアニメの制作者も、少なくとも無自覚にその思想を前提しているんですよ。そのことに気付かず盲目的に持ち上げている人の言うことはすべて滑稽すぎて笑止です。

*1:1周目で現在進行形で視聴者の目に留まって考察されるようなものを「伏線」とは言いません。

*2:この記事は批判的な調子ですが私はこういう観点から見ていてけものフレンズには満足しています。良作でした。