ふわふわぷかぷか

波のまにまに漂うこころ

劇場版ごちうさで泣いた

 

アニメ感想です。ネタバレは抽象的にですが少ししているかも。

ごちうさの劇場版OVAご注文はうさぎですか?? ~Dear My Sister~』を観てきました。TOHOシネマズ上野で14日の16:10~の回です。

先週オープンしたばかりのTOHOシネマズ上野は良い劇場でした。いちばん大きなスクリーン3に入りました。座席は前後も左右も広いです。前後は傾斜がかなりついていて、前の人の頭が邪魔になることは基本的にないと思います。傾斜のために後方の席はスクリーンを見下ろす感じになるので、一般に映画館の良席は後方の中央とされますがここでは後ろに行き過ぎないのがよいと思いました。

 

さて本題のごちうさですが、最高でした。

3回泣きました。今まで映像作品でボロボロ泣いたことなんてなかった私が*1 日常系アニメでこんなに泣くなんて思いませんでした。ついさっきまでギャグシーンだったのに「あっ」と思ったらもう顔が歪んで涙が出てるんです。私、こんなにごちうさを好きになってたんだな。種田梨沙さんのこともあるのかな。

まずオープニング挿入歌で泣きました。種田さんの最初のソロパート、タイトルロゴ、そしてテレビシリーズのシーンがスライドショーするところ。

次に、予告にも出てくるココアの「将来の夢はたくさんあるけど、一番の憧れはやっぱりお姉ちゃん」で泣きました。

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ココアの実家での様子が暫く描かれて過去の回想があって、モカとココアのお母さんの描写があって、のこのシーンは破壊力絶大です。

最後は主題歌とエンドロールに入ったところで泣きました。直前のココアとチノのシーンに感動したというより、この作品にありがとうという気持ちが溢れ出て止まらないといった涙でした。Koi先生にありがとう、橋本監督にありがとう、種田梨沙さんおかえりなさい、公開を遅らせても種田さんを待ってくれた制作陣にありがとう、アニメに関わったすべての人たちにありがとう、そして「ごちうさ」にありがとう。

 

脚本と演出は非常に丁寧に作り込まれていました。原作5巻のある部分がストーリーの中心ですが、他のエピソードもうまく絡めて回収し、本筋に関わらないキャラも存在感を発揮し、アニメ1期2期のシーンやセルフオマージュがあり、キャラソンネタもあり。今日までのごちうさのすべてが詰まった集大成です。

音楽も素晴らしいです。新しい劇伴もありますがテレビアニメの音楽の流用が特に好きでした。『おはなしをしよう』とか。そしてラストシーンはやはりあの曲ですよね。川田瑠夏さんありがとう。

挿入歌と主題歌も完璧です。予告でbgm的に流れているのと劇場版で本編に合わさるのとでは違います。劇場では号泣のトリガーに化けました。主題歌と言えば、予告公開からずっと思っているけど、『セカイがカフェになっちゃった!』のサビで合いの手にコーラスで「よーろしくねっ」が入っているのは畑亜貴流の種田梨沙さんへのメッセージですよね?

そして種田梨沙さん。おかえりなさい。実は本作のリゼの声は不安定です。ところどころ少年っぽさが強かったり。まだ本調子じゃないのかもしれない。聞く話ではアフレコは種田さんだけ別撮りしたらしく、演技が難しかったのかもしれない。でもそんなことどうでもよかったです。種田さんがリゼを演じてくれたことだけで120点です。本当にありがとう。昨年のちょうど今頃に劇場版きんモザを観たとき、綾がまさかの主役になっていて種田さんは渾身の名演をしていて、もしやこれが種田さんの遺作になったりしないかと心が震えたのを覚えています。あれから1年経って元気に表舞台に戻ってきた。私は落選して行けなかったけど舞台挨拶にも出て来られた。それだけで私には十分です。

本作ではリゼがよく笑います。リゼは素直になるのが苦手でツンツンしちゃうキャラですが、照れてとかじゃなくにっこり笑うシーンがたくさんありました。私はリゼに種田さんを重ねたいと思いました。病気療養で丸一年仕事を空けた間ごちうさは種田さんを待ちました。それは他でもなくリゼが種田さんを待っていたんだと感じました。リゼの笑顔は種田さんおかえりの笑顔に見えました。同時に種田さん自身の笑顔にもなったらいいなと思いました。

 

私はまた観ます。コミケで買った前売りを使って。それでもまた行きたくなったら何度でも劇場に通いたいと思います。

ちなみに来場者特典の色紙は既になくなっていました。私はリゼが特に好きですが公開初週のキャラは誰になってもすごく嬉しかったので残念でした。2週目の色紙は貰えるように2回目を行きます。

 

追記:この記事はどこで泣いた何が感動したといったことばかり書いていますがごちうさアニメの真髄は変わっていません。ベースは笑いあり萌えあり、テンポよくギャグとほっこりを打ち込んでくるいつものごちうさです。あなたの知っている「ごちうさ」を期待して観に行けば期待通りかそれ以上の神アニメが待っています!

*1:去年の秋にラブライブ!のμ'sファイナルライブのBlu-rayを友達と見たとき、当時はキャラの顔と名前とスクフェスの低ランクで解放される曲くらいしか知らなかったのにちょっと泣けた。いま見たらたぶんかなり泣く。

ガチ恋だっていいじゃない

 

昨日、声優の豊崎愛生さんが結婚を発表したとのこと。

ゆるゆり花咲くいろはくらいしか出演作を見ていない*1 私には「あ、ふーん」って感じだけど、アニメ界隈では結構大きなニュースじゃなかろうか。

で、タイムラインに流れてきたこのツイート。

私もそう思う。オタクなんだもの。オタクになっちゃったんだもの。ガチ恋上等よ。

 

さてラブライブ!サンシャイン!! のオタクの私は昨日、ラクーアで行われたアニメ2期主題歌発売記念イベント を観に行った。Aqours声優の2年生組3人がファンの持参した台紙にスタンプを押すという企画。イベント開始1時間前の午後5時に着いたら既にたくさん人が集まっていた。東京ドームのそばにいることだしスマホでドラフト会議を見て暇を潰した。巨人は清宮くんの抽選を外した。

6時になるとキャストの3人が出てきた。自己紹介とコーレスをやって、このたびリリースした新曲についてちょこっと喋ってトークパートは終わった。時間にして10分くらい。あとの時間はスタンプ押印会。このスタンプ会は当日朝に会場でCD買って抽選に当たった人しかできなくて、権利がない私は当選したファンが順にステージに上がるさまを2階から眺めた。

暫くすると人が帰りだしてステージ正面近くの最前列に行くことができた。2階と言っても2nd LIVEで見たときよりはだいぶ近くて、双眼鏡を使うとかなりよく見えた。逢田梨香子さんはとてもきれいだった。伊波杏樹さんはイメージ通り元気だった。

斉藤朱夏さんはひとときも笑顔を絶やさず愛想を振りまいた。半分くらいのファンがしゅかしゅーの前に来ると敬礼をするのにその都度敬礼を返してて、その律義さに遠くから眺めてる私も敬礼を送りたい気持ちだった。私も朝から来てCD買ってたら5秒×3人とお話できたかもしれなかったんだなぁとぼんやり考えた。*2

そのとき、すぐそばにいた制服の男子高校生二人組が「くだらない芸能人を追いかけてこんなにたくさん人が集まって、ステージでやっていることはしょうもない一瞬の接触で、地上階の前方にいる人たちはそのためだけに要らないCDを買っていて、何から何まで馬鹿らしい」といったことを聞えよがしに話した。言ってることは全面的に正しいと思う。ただ、1時間前に来た私より早くから待っていてトーク終わっても帰らず最前に詰めている人が言っても惨めなだけだった。

そうやって斜に構えてもしょうがないのだ。もうオタクなんだもの。オタクになっちゃったんだもの。

彼らがおっさんだったら「みっともない振舞いはやめなさいな」と窘めもするけれど、高校生でCD積むお金もなくてステージ上のファンが羨ましいのだろうから、これくらいの憎まれ口は許してやろうと黙って立ち去った。

*1:To LOVEる? そんなものはない。

*2:このイベント見てたら、また参加者のレポツイートを読んでたら、接近イベ行きたいっていう人々の需要が高まってお渡し会の倍率が上がるのではと思った。諏訪ななかさんが好きな私はSHIBUYA TSUTAYA開催回に応募している。1枚しか買ってないから初めから当選するつもりでいないけど、たださえ東京での3年組イベはこの渋谷TSUTAYAだけなのがさらに激戦になるのは……。

特定外来生物「イェッタイガー」

迷惑コールから現場を守れ。

気持ちが落ち着くのに少し時間がかかった。と言っても書き始めるとまたイライラして言葉が乱暴になる。

 

9月29日と30日、ラブライブ!サンシャイン!! Aqours 2nd LoveLive! HAPPY PARTY TRAIN TOUR埼玉公演に両日参戦した。神ライブだった。超満員のメットライフドーム*1 を3時間半にわたり魅了するAqoursのキャスト9人。初めてドームライブに入ったが、大箱には大箱の楽しみ方があると感じた。ハロプロで何度か入った中野サンプラザくらいのサイズのホールコンサート好きだけどね。パフォーマンスを鑑賞することに関しては2000人規模のホールがいいけど、会場全体の熱気は客席がステージをぐるっと囲んだアリーナやドームならではのものがある。それも4万人よ。4万人が熱狂すると会場が揺れるよ。2日目ラストの『Landing action Yeah!!』のBメロの「ジャンプ!」は地震が起きたんじゃないか。

 

とまあ、こう、単にAqoursライブ最高だった、ありがとうラブライブ!サンシャイン!! という話ならわざわざブログに書くのに時間はかからないわけで。神ライブに一点の瑕をつける水差し野郎がいたわけよ。

ラ!界隈の人は皆さんご存知だろうけど、家虎がちょこちょこ目に付いた。2日とも。会場全体が静寂に息を呑むようなタイミングで「イエッタイガー!」とか叫ぶやつ。私は初日は三塁側スタンドにいて、界隈でフルボッコにされたMIRAI TICKETの家虎は気付かなかったけど、恋になりたいAQUARIUMなど数曲でMIXとかいろいろ聞こえて眉を顰めた。他を全部譲っても未熟DREAMERだけはあり得ない。

*1:いわゆる西武ドームです。

*2:2日目のミラチケで叫んでた人たち、迷惑だしウザいし、そのうえ二番煎じが最高にダサい。こういうことするにしてもパイオニアならまだ面白いのだが、後追いはただただ白ける。

*3:ただし合いの手は「正しいもの」があります。Psychic Fireの一番のサビで「ビービビビビビビ!」と叫ぶのは間違いです、「ハイ! ハイ! ハイ! ハイ!」を入れましょう。

*4:「歌に関係ない言葉を叫ぶなどのコールの禁止」等と言って公式が迷惑コールを明確に禁止するケースもあります。

そういえばラブライブ!はサンシャイン!!になってUOが禁止になりました。無印では『Snow Halation』の落ちサビでUOを会場全体で折りたいという風潮だったのからすると大きな転換です。

*5:つい最近、アイドルのライブでオタ芸で曲が聞こえなかったといって客の一人が運営を訴えたという裁判が最高裁まで行って、原告が敗訴しました。当たり前です。

*6:fripSideの八木沼さんは昨年のライブで家虎に怒ったそうですね。Aqours埼玉のミラチケも伊波杏樹さんが困惑していたという話をTwitterで目にしました。

けものフレンズ、悪くないんだけどさぁ

先日最終回を迎えた『けものフレンズ』は2017年冬クールの覇権アニメでした。私は基本的にアニメを自分から見ることはなく、ツイッターのタイムラインで高評価をよく目にする作品を一度見てみて面白かったら翌週から毎週視聴するというふうにしていて、今期はけものフレンズを3話までネットで追いかけ4話からリアルタイムで視聴しました。

この作品、キャラデザや表面上の話の調子はゆるーくほのぼのした雰囲気を基調としながらも示唆的な描写*1 が各所にちりばめられていたことから、考察厨が多くみられましたね。ツイッターの「#けものフレンズ考察班」のハッシュタグとか。どういう楽しみ方をするかは観る側の勝手なので私の誹りに取り合う必要はありませんが、ごちうさが好きな人間でけものフレンズをかばんとサーバルの関係性などを中心に解釈していた私は*2ディストピア的な要素に特に注目して「考察」を巡らせる人たちには終始冷笑的でした。結果論では、考察厨の人たちが考えていたことのほとんどは無駄でした。最終回まで一貫しないガバガバ設定や匂わせたきり回収しなかった謎が散見されるけものフレンズはその方面では水準の低い作品でした。もちろん、空虚で無意味な内容であっても考えること自体が楽しいということはあるのでしょうが。

そういった背景もあり、オンラインの言論空間はけものフレンズにはなんだか知的ぶったというか高尚ぶったというかな称賛が溢れていて、論理的不整合の指摘を含めそれに対立することは許されないような空気で気味が悪いです。 

それにしても、12話のはじめのフレンズたちが勢ぞろいした場面を「熱くなった」「かばんちゃん(ヒト)とフレンズの強い結びつきが端的に表現されていた」「巧い構成だ」などと評する人には感性を疑います。あれはベタな少年マンガ展開と似て非なります。あの作品に通底していた人間のエゴの象徴に他ならない。その意味では確かに最終回にふさわしかったと言えます(皮肉です)。

それまで全くフレンズの呼びかけに反応しなかったラッキービースト(人間の製作物)が、ヒトの危機に際してだけネットワークを通じて全パークのフレンズに干渉して救出させるなんて、フレンズを仲間と思わず明確にヒトの下に置いて管理・利用・消費するというジャパリパーク設置者の醜い精神性の発露でしょう。私はフレンズとヒトとの隔絶の深さを知って眉を顰めましたよ。

ミライさんも、このアニメの制作者も、少なくとも無自覚にその思想を前提しているんですよ。そのことに気付かず盲目的に持ち上げている人の言うことはすべて滑稽すぎて笑止です。

*1:1周目で現在進行形で視聴者の目に留まって考察されるようなものを「伏線」とは言いません。

*2:この記事は批判的な調子ですが私はこういう観点から見ていてけものフレンズには満足しています。良作でした。

道重再生公演に行ってきました

道重さゆみさんの『SAYUMINGLANDOLL~再生~』の3月23日、27日、29日のレイトショーに行ってきました。

何か言うのも野暮なくらいに素晴らしかったです。

さゆにはカリスマがあるなぁとしみじみ。会場が大きくないので(客席はせいぜい200人くらい?)、さゆから客は文字通り全員見えていて、コットンクラブの空間のすべてにさゆのオーラがなみなみ充満していました。私にとっての初日である23日は私が風邪明けで体調があまりよくなかったのですが(周りの席の人と道重さんに本当に申し訳なく思います)、場がさゆの本気に支配されていてステージ中は咳払いもできませんでした。それだけ圧倒的でした。

途中でさゆが客席を動き回るところがあるのですが、ただでさえ席とステージがとても近くてこんなにチケット安くていいのかと思っていたのにさゆが目の前まで来てぴょこぴょこ動くものですから本当に感動しました。

3日間通うなかで私の座席は初めはステージの真横に近かったのが徐々に正面寄りになりました。何度か行われるイリュージョンは真横から見てもタネが見えず興をそがれることがありませんでした。むしろ初日に真横から見て彼女たちのパフォーマンスの水準を知り安心や没入が深まりました。公演の内容が分かってきた2日目3日目にはステージが俯瞰的に見やすい位置になり新しい発見があったりして毎回飽きませんでした。

飽きないと言えば、さゆの髪型、毎日違いました。23日の公演の最初にはうさちゃんヘアーをしていて、「ああっ、さゆ……!」とそれだけで泣きそうでした。はじめて間近でさゆを見たとか2年半ぶりの道重さんだったとかいう要素も加わってかもしれませんが、3日間のすべてを通じてあの最初の髪型がいちばん好きでした。 

「雑記事」のタグをつけて思いつくまま適当に書きつけましたが結構な字数になりました。それだけ盛りだくさんな公演だったということです。 

いま再生公演でやっていることが道重さんのしたいことなのかは私たちにはわかりませんが、今後はいまの公演のように、メジャー路線ではなく身の丈に合って地に足がついた活動、自分のしたいことをぼちぼちやってくれたらいいなあと願っています。

日常系には内容がないって言うけど

そういう人が中身があるって言う作品こそ、設定からくる壮大なご都合主義の中でキャラが動いてるだけに見えて移入できないなぁ。まどマギでも、ラブライブでもさ。

 

君の名は。』に感動するってわかんないって思う理由の一つがこれで。

私は2回観たけど、二度とも映像はきれいだと思ったけど、話は良い悪いというよりそもそも評価すべきものが存在しないと思った。瀧と三葉には、彗星が落ちる、それによる糸守の人的被害を回避するという壮大すぎる仕事が背負わされて、(この作品では全体のまとまり的にそれは成功することが初めから観客には察せられて、)彼らはそれをするという運命に駆り立てられているように見える。彼らの行動には運命からくる当然しかなく、感情や思考の要素がない。ただストーリーのために動かされる駒になっていて、意志を持ち血が通った「人」じゃない。だから薄っぺらい。「ま、そうでしょ」「はいはい、それでこの問題を解決するのね」って白けちゃう。

 

シン・ゴジラ』は、あれは不条理ギャグアクションだから、初めから感動とか狙ってもいない作品だけど、登場人物の動きには似たようなところあるよねぇ。

 

じゃあ何が良いって、映画で言えば、私が観た2016年のベスト邦画は、『聲の形』、次いで『この世界の片隅に』。

好きなアイドルの曲

のたび、道重さゆみさんの再生公演のチケットを取りまして、しばらくぶりの現場に行くことが決まりました。私にとっては、道重さんは2014年の夏ハロコン以来、2年半ぶりです。あっ、2015年のさゆロス展を含めれば1年ぶりくらいですね。

 

回に限ったことではありませんがこのブログの記事は完全な私見です。割り切って読んでください。

記事のタイトルを区切ると「好きな / アイドルの曲」です。「好きなアイドル / の曲」ではありません。また、アイドル≪の≫曲、であって好きな「アイドル曲」ではありません(これ重要)。

では本題に入ります。

 

イドル*1 の魅力って何だろう。この点についてファンはそれぞれ自分の思いがあるはずで、それを否定する気はありません。自分が考えるアイドルの本質を大事にしてください。私自身、初めてファンになった中学3年のときから今までにアイドルの良さだと思うものが変わってきていますが、昔の自分を “分かってない” と腐す気になりません。

今の私が考えるアイドルのいちばんの魅力は、それがメンバーにとっての本気の自己実現の場であることです。私はアイドルをすることは彼女たちの「全力の」「青春の」「腰掛け」であってほしいと思っています。*2

 

れでは、アイドルの楽曲の良さって何だろう。アイドルが歌ってさえいれば曲はなんでもいい? そうは思いません。アイドルにしか歌えない曲、アイドルが歌うからこそ出る趣というものがあるのです。

「アイドル曲」「アイドルソング」というと元気のよいラブソングと応援歌が代表的です。私もそういうの好きだし、アイドルに重要な一つの曲の系統だと思います。また、ある程度キャリアを積むとファンへの感謝を綴った曲を出すこともあります。しかし私のいちばん好きな「アイドルの曲」はこのいずれでもありません。

私は、中高生である今が永遠には続かないこと*3、自分たちが大人になって変わってしまうこと、今の親友といつか別れてしまうこと、といった主題を歌った曲が好きです。本稿ではこれを「未来感傷曲」と呼ぶことにしましょう。たとえばBerryz工房の『友達は友達なんだ!』『サンクユーベリーベリー』、重ピンク&こはっピンクの『宝の箱』がそうです。*4

実はこのようなことを考えこの記事を書こうと思ったきっかけはラブライブ!です。前回の記事でちょっと書いたように、今年から所属しているコミュニティにその方面のオタクがあふれていた影響でラブライブ!やアニメに多少詳しくなったんですが*5、その過程で知った『SENTIMENTAL StepS』という曲が、いま言ったことにドンピシャにハマっていて。*6 人生、意外なところから視野が広がるものです。

 

のような曲を、アイドルとしての全盛期後半かそれを少し過ぎた頃、具体的に言うと主力ないし年少メンバーの高校生年代の終わりから成人前に出してもらえると最高です。ここで強調しておきたいのは、こういう曲はリリースのタイミングが非常に大切だということ。昔にも書きましたが、曲はただ曲としてあるのではなく文脈の中にあります(我武者LIFEと℃-ute の終わりを参照)。誰がいつ、どういう状況にあるときに出したのか。また、リリース後のライブでのパフォーマンスによって新たな意味を持つようになることもあります。曲は文脈の中に生き、不断に生まれ変わり続ける。*7

 未来感傷曲はメンバーが若いうち、また活動初期に出しては薄っぺらくなってしまいます。*8 中学生年代ころから活動を始め、元気なアイドルソングを中心に若々しい活動を積み重ね、年月とともにスキルをつけ心身ともに成長しピークの時期を迎え、それが終わろうとしているときが最適なタイミングです。歌詞では「中高生でなくなる」「大人になる」「友と道を分かつ」というようなことを歌っているのに、そこに彼女たちが「アイドル性の峠を越す」「アイドルを卒業する」「(アイドルをやめることにより)今一緒に活動しているメンバーと離れる」という意味が隠喩される。歌っている側はそれを自覚し、*9 ファンも言葉の奥にもっぱらそれを読み取る。それこそが未来感傷曲の醍醐味だと思うのです。

 

う書くと、読者には、どうも筆者はアイドルを終焉や凋落に価値があるものと思っているようだと感じられるかもしれません。私はピークを過ぎたアイドルが下り坂でもがくさまに最大の面白さを感じているのではないと思っていますが、そう指摘されて全否定することはできません。アイドルの中核的な価値は「儚さ」にあるんだと、なんとなく思います。この記事の最初のほうでアイドルを全力の青春の腰掛けであってほしいと書きました。きっと私は、青春を投げうって頑張ること、そうした日々の成果が有形無形に現れること、しかしその彼女の青春は長くないこと、そして終わってしまえばアイドルとしてこの世に生み出したものごとは一気に過去のものとして褪せてゆくこと、これらをアイドルの本質的な趣だと感じているのです。

魔法少女まどか☆マギカ』というアニメ作品で、インキュベーターは宇宙の熱的死を回避するために感情変動のエネルギーを取り出す技術を開発し、少女の絶望に伴う感情変動をそのメインターゲットとしました。少女は夢(「魂をかけるに値する願い」)に惹かれて契約し魔法少女となり、形式的には夢が叶ったのにその因果で望まぬ世界が生まれどんなにもがいてもそれを解消できず、最終的に絶望して魔女に堕ち大量の感情エネルギーを放出します。必ず絶望することになると知っていながら夢をちらつかせて次なる少女に契約を迫るインキュベーターを、我々は巨悪とみなします。他者の人生を消費し、輝きを涸れるまで搾り取って用が済んだら捨てる、なんと許しがたき所業か。ところで、アイドルファンの私やあなたがアイドルへ向ける視線にはインキュベーターに似た嗜虐がありはしませんか。

*1:私はハロプロ以外のアイドルのファンではないので、私がする3次元のアイドルの話は基本的にハロプロなんですが、本稿で書いていることは “ハロプロだから” でなくアイドルに一般的な(であってほしい)ものだと思うので「アイドル」と書いています。

*2:この言葉の意味を説明しませんが共感できる人はしてください。理解の補助になるかもしれないことを一つ言うと、アイドルのピークは高校生年代です。

*3:Berryz工房のラストコンサートでのMCで、徳永さんは「12年半、ハロープロジェクトBerryz工房をやらせてもらって、2つ気づいたことがあります。ひとつは、時間は止められないこと。」と言い、須藤さんは「今日で終わりだと思うとすごくさみしいし、こんなに素敵な空間を守ることが出来なくて本当にごめんなさい。」と言いました。そういうことです。

*4:サヨナラのかわりに』『桜→入学式』のような卒業・入学ソングには幾らか似た要素がありますが少し違うと感じています。

*5:私のほうから彼らにハロプロの布教はしてません。ゴメンナサイ……(?)。

*6:このブログの読者には知らない人も多いと思うので歌詞を少し紹介します。1番の「楽しいと思う今を 保存したい気持ち 初めて感じたんだよ」も良いですがストレートすぎて、個人的には以下に引用する2番以降の歌詞が秀逸だと思います。(はてブロでの歌詞引用にジャスラックがうるさいという噂を聞いています。何か言われたら引用は削除します。)

見えないだけで本当は 少しずつ成長してるって
タネを埋めた場所からは 小さな葉っぱが歌いだす

季節がいつの間にか塗り替えていった
街の色に気付いたよ

(中略)

気のせいだよね いつものみんなだね
ふざけて駆けあし 転びそうだ
待って 待って どこか寄って帰る?

すれ違っても わからないくらい
君もぼくも大人になった頃が想像できない
だってずっと一緒だから

 

*7:しかし、当たり前ですが、その「文脈」はファンでない人は全く知らないことです。他ブログさんのこの記事(私が好きな"モーニング娘。"の話。 - 青猫文具箱)でもそのようなことが書かれていて、共感しました。私がさきほど『SENTIMENTAL StepS』を紹介するだけして、「聴いてみてください」と言わないのはこのためです。友友でもセンステでも、この手の曲の良さは文脈ありき、そのアイドルがこれをリリースするまでに歩んできた過去があってこそのもので、それを知らない外部の人がひょいと曲を聴いてもただの塩曲です。
皆さんも自分の好きなアーティストの曲を誰かに薦めるときは、ファンだから良さがわかるというような曲を最初に薦めてはいけません。そういうのは、キャッチ―な曲で相手を取り込んでからすることです。

*8:まあ、出すだけ出しといてのちのちライブで育てるという戦略もアリはアリですが、出した時点でのダサさはこの上ないし、ファンとしてはそんな早いうちから終わりのことを意識したくありません。

*9:どうでもいいようですごく重要なのは、アイドルにはプロデューサーがついていて楽曲もセルフプロデュースではないことです。未来感傷曲で歌うような内容は、アイドル自身の中から出てきてはいけない。それを思いつくことはあってもよいけど、直視することを避けて無心で “今” に打ち込むようでないといけない。ああいうことを真剣に悩む時期に入ったら、既に彼女はアイドル性を大きく失っている。未来感傷曲の歌詞は、プロデュースサイドからアイドルに与えられ実際に声に出すことを通じて初めて彼女たちの中に自分のこととして根付くものでないといけません。

なぜこんなことを言うかというと、ラブライブ!の劇中ではμ'sはセルフプロデュースという設定になっているからです。μ's曲の歌詞は園田海未を中心にすべてメンバーが書いているということになっています。しかしセンステの歌詞が高校生の彼女たちから出てきてはいけないんです。作中設定から離れて現実には、ラブライブ!の楽曲は全て畑亜貴が作詞しています。私は、センステに関してはμ'sプロデュースという設定から逸脱して事務所提供楽曲として解釈しています。

ハロプロ社会の上下関係

いぶん久しぶりの更新です。前回更新から1年以上空きました。

私のハロプロ熱が下がっているとか、今年度に新しく入ったコミュニティがラブライブ!のファンであふれていて幾分そちらのコンテンツに浸っていたということとは関係なく、このブログはもともと この話(下リンクに同じ)を文章にして自分の気持ちを整理したいとずっと思っていたところ一念発起して建てたもので、あと他に考えていたことやその場その場で浮かんだネタを記事にして、書きたいことが尽きたら放置される運命にあったまでのことです。

ukikusa.hatenadiary.com

 

ご挨拶は以上にして本題に入ります。

2月2日はモーニング娘。’17牧野真莉愛ちゃんの誕生日でした。それで9期10期がサプライズをしたそうなんですが、これがちょっとひどいんじゃないか*1 といって一部で炎上していました。

この件自体について評論することは控えます。ここでは、一連の騒動を見ながら何となく考えていた、モーニング娘。ひいてハロプロの上下関係について書きます。

 

ロープロジェクトには先輩後輩の序列があって上下関係が厳しいものと一般に認識されています。その年次の上下の決め方が、昔はただデビュー順でよかったのが、エッグや研修生ができてくると複雑になってきて、その一端がたとえば、2011年に鞘師里保(2010年のオーデ合格で直接11年にデビュー)が宮本佳林(08年にエッグ入りし11年当時もエッグだった)を「かりんちゃんさん」と呼んだこと*2 とか、エッグに入った順番とメジャーデビューの順番が入れ替わっている工藤遥高木紗友希の関係性に現れています。

世間も、今のハロプロを知っている人なら上記のような状態から、知らない人なら全盛期のモーニング娘。*3 がテレビでやっていたことを見て、ハロプロには体育会的上下関係があるものと思っているでしょう。

 

しかし、このような認識は必ずしも正しくありません。たとえば娘。内の上下関係は、あるとき人為的に作られ、一度消滅した後、再度復活したものです。以下にしばし、娘。内の先輩後輩関係の沿革を概観しましょう。(私が視聴した限りのASAYANハロモニ、うたばん等の動画、ラジオ音源等を資料としているため、不正確なところがある可能性をご了承ください。詳しい方には積極的にコメント等でご教示頂けると幸いです。また、いわゆる狼脳的な見方をしていることを自覚しています。)

 

1期と2期の間には、先輩後輩という観念はほとんどありません。3期の後藤真希は、年齢や見た目のインパクトやグループのプロデュース方針を大きく転換させたことから当初は1期2期と距離があるようでしたが、圧倒的な実力もあってかやがて友好的に受け入れられました。4期も、辻と加護が社会人としての振る舞いをわきまえていないのを問題視してシメたところはありますがおおよそ同様です。この時代には、後輩から先輩へのリスペクト、先輩から後輩への思いやりという付き合いは当然ありましたが、基本的にどの期のメンバーも序列を意識することない対等な関係でした。誰でも中澤さんを「裕子ちゃん」「姐さん」「おばちゃん」と呼ぶことができました。

 

潮流が変わったのは5期加入のときです。5期加入が娘。にどういう影響を与えたかということはまた機会があれば書きたいと思いますが、結論を言うと少なくとも加入時点での5期は一世を風靡するトップアイドル・モーニング娘。を名乗るに相応しいレベルにありませんでした。

このとき中澤さんは既に卒業していてリーダーは飯田圭織さんでした。悪く言いたくはないのですが、婉曲的に言って飯田さんはプライドが高すぎました。*4 彼女(と安倍さん)は5期と自分が同列に扱われることを嫌っていました。それで理不尽な後輩いじめみたいなことをやることになった、この頃に初めて出てきたのが上下関係です。間もなく5期メンバーは先輩を敬称をつけて呼ぶよう教育され、*5 いまどき野球部でもやらないような上下関係に服することになりました。同じく飯田政権下に加入した6期*6 も、一時ほど厳しくないにせよ同じ文脈で語ることができます。

 

再び潮目が変わったのは吉澤リーダー期です。「アットホームなモーニング娘。」とは高橋愛さんがリーダー時代に言っていたことですが、その源流は吉澤期にあります。吉澤さんはメンバーを厳しく締め付けるようなことをしませんでした。全盛期を支えた一人である彼女*7 にはカリスマがあったのでその必要もありませんでした。その親しい間柄から吉澤さんを名誉5期と呼ぶ人もいます。7期の久住さんには手を焼いていましたが、度が過ぎるときはシメていたし、信頼されていたと思います。政権末期に加入した8期の光井さんはあっという間に舎弟のようになっていました。

プラチナ期も、先述の「アットホーム」という標語に象徴される通りこの路線を引き継ぎました。厳密には高橋リーダーの統治と吉澤リーダーの統治は性質が違います。吉澤さんの放任路線は、その実は各メンバーと吉澤さんとの間の、一対一の体育会的な信頼を礎に成り立っていました。吉澤さんはいちいち口を出しませんが、シメなければならなくなればシメる力があり、藤本さんも一目置いていました。ただ放っているのではなくちゃんと一人一人を見ている、そのキャプテンシーに他のメンバーがついていきました。高橋さんのアットホームは、それに比べると少し馴れ合いに近いものです。高橋さんは他人に強く出られない人でした。根本的に自分に自信がないというのが一つと、もう一つは、リーダーになる前から6期は愛ちゃん愛ちゃんと言ってみんな懐いていましたが、その関係を壊す勇気がなかったのだと思います。プラチナ期のアットホーム路線は、グループ内で異常なほど偏って大きな役割と重圧を背負う高橋さんと、その高橋さんにグループの命運がかかっていて寄りかかるしかない他メンバーとの精神的な相互依存なのです。*8

細かい話はともかく、プラチナ期が、それまでで最もメンバー間の立場が近かった時代だったのは間違いなく、それが今でもプラチナ厨を惹き付ける一つの結晶を作ったことは特筆すべきことです。

 

しかしまた揺り戻しが起こりました。9期の加入です。

9期は娘。にとって実に4年ぶりとなる新メンバーでした。また、年長順に当時24,22,21,21,17歳だった既存メンに対して、9期は14,13,12,12歳でした。この年齢と芸能人スキルの隔絶は5期加入時を彷彿とさせるもので、さらに既存メンは後輩との接し方というものを忘れてしまっており、新人側も先輩に畏まるという図式ができました。やがて高橋さんが抜け10期が入ったときに残っていたのは、過去に激しく先輩に虐げられた新垣里沙、人付き合いをまったくしない田中れいな、はっきり言って腹黒い道重さゆみ、吉澤・高橋両リーダーに舎弟のように仕えてきた光井愛佳でした。ここに プラチナ組ー2011年加入組 という圧倒的な序列がにわかに浮かび上がり、それとフラクタルな 9期ー10期 という関係も併せて顕在化することになったのです。

1年後、11期加入の際にこの流れは決定的なものになりました。このときには新垣さんと光井さんは卒業していて、娘。内の人間関係は若く人数が多い9期10期が中心、それを蓮池のふちからビジネスライクに道重・田中が眺めている構図でした。ここに独り入った小田さんがグループ内での立ち位置を固める過程で9期10期との間に歴とした溝を作りました。私は率直に、これは11期が単独加入だったことが悪く作用したと思っています。

 

道重リーダー期の道重さんと他メンバーとの関わりは、吉澤リーダーのそれに近いものがありました。道重さんも、リーダーになったころにはグループ内融和に努めていたように思いますが、吉澤期のように後輩間の人間関係をほぐすまでの指導力はありませんでした。*9

そして田中・道重の卒業後、上下関係がある状態しか知らないメンバーたちのなかに、12期、13期が迎えられ、はたして上下関係に取り込まれて今に至ります。(概観終わり)

 

上のように振り返ると、上下関係はモーニング娘。に常に付随したものではないことが分かります。個人的な見解としては、グループ内での先輩・後輩の上下関係は必ずしも要りません。それが機能する場面があるのは認めます。どういうときかというと、経験と力量の差があって現実に先輩が敬うに値するときです。5期加入時、9期加入時は、そういう意味では上下関係は生ずべき状況だったといえます。前者はやり方が過剰すぎましたが。

さて今の娘。を見ると、私に言わせれば、そのような関係は必要ない、むしろ「ない」べきです。変な序列を作るより一枚岩になって頑張ることが大事だと感じます。馴れ合いになってはいけませんが(若い人たちは規律で縛らないとそうなりがちです)、吉澤さんや道重さんのようなカリスマもいないことですし、プラチナ期的なアットホームなグループを目指すべきです。

しかし展望はというと、これから娘。がそのようになれるとは思えません。さきほど軽く述べましたが、上下関係がなかったときを知っている現役メンバーが一人もいないのです。吉澤さんは5期が入るまでかなり先輩と打ち解けていたし、いわゆる「派閥」に属さず、フラットに人を見ることができる人でした。そのような人が上に就いたからこそ吉澤期はあのようになりました。しかし現メンにその再現を期待することはできません。

 

ーニング娘。についてはここで切り上げて、他のグループについても少しだけ見てみましょう。

完全なる同期だけで構成されている今の℃-uteには上下関係は当然ありません。エッグ・研修生入りした時期は異なるがデビューは同時のJuice=Juiceなども同様です。

メンバーの加入・卒業を繰り返しているアンジュルムカントリー・ガールズ内には上下関係がありますが、その程度は緩いものに見えます。*10 アンジュルムスマイレージ時代の1期2期関係はやや断絶させられたものがありましたが、*11 3期を迎えて改名した後の2015年の雰囲気は特によかったと思います。カントリーは、どうしても嗣永さんが圧倒的に格上で同列に並べられることができない構成でしたが、後輩に「ももち先輩」と呼ばせ本人が積極的にお局キャラを演じることで一応の解決を図りました。

 

下関係は必要ではないし、そこにハロプロの本質はありません。あったほうがいいときには導入し、必要がないときには努力してでも廃止すべきです。また、一度出来上がった関係は、時間が経つにつれて形骸化しなければなりません。新人と3年選手の経験・力量の差は大きいですが、5年選手と8年選手はハロメンとして対等に近いでしょう。

この記事では、グループ内での人間関係に注目して論じてきましたが、ハロプロ内でのグループをまたいだ関係でも原則は同じです。ただ、同じグループの仲間と比べて共に過ごしてきた時間が少ないために、幾らか距離が離れ、畏まった関係になるというわけです。

*1:簡単に言うと先輩たちがマリアをわざと理不尽に厳しく叱って泣かしたということです。事の顛末は 工藤ブログまとめサイト を見てください。

*2:

【魚拓】始めましてヽ(*・ω・)ノ 鞘師里保 | リボーン~命のオーディション~

*3:私の用語法では、「黄金期」は再狭義ではいわゆる “黄金の9人” で活動した一瞬、最広義では3期加入から『ザ☆ピ~ス!』までを言い、「全盛期」は5期加入から2003年あたりまでを指します。

*4:単刀直入に言うと、当時の娘。の地位はほとんど3期と4期によって築かれたものなのに、そして本人も3期4期に自分の立場が押されていることを内心勘付いていながら、それを否定するために娘。の繁栄を自分たち1期2期の手柄と信じようとしていたきらいがあります。

*5:少し後には、5期6期が矢口さんを「やぐっつぁん」と呼んでいいのかなんて論争があったりしました。矢口さんは心底どうでもいいと思っていた気がします。

*6:この記事では、6期とは亀井、道重、田中の3人を指します。藤本さんは実質的に4期だと整理したほうが都合がよい場合が多いです。

*7:吉澤さんが、個人としてヲタ人気がなかったために他の3期4期メンのように早期に娘。から切り離されず、それが塞翁が馬、(後藤・辻・加護・石川がソロやバラ売り用ユニットで失速していったことと対照的に)娘。リーダーになって高評価されて得をしているということは私も否定しません。しかし、そうであってもなお、吉澤さんが全盛期のメディア露出の中心の一人であったこと、一般認知度は一流と言って余りあるものだったこと、対外的に娘。を代表するに相応しかったこと、そして対内的に圧倒的な求心力を持っていたことは疑いない事実です。

*8:……という結論を得てからBerryz工房の人間関係を追いかけるとものすごく面白いですね。

*9:尤も、吉澤期に5期6期の仲が良かったのには、彼女ら7人の歳の近さ(86年度生まれが1人、87年度~89年度生まれが各2人)や、5期の友好的な性格、共に飯田さんにいびられたことによる当初からの結束などの要因が寄与しているでしょう。

*10:というか、どうして娘。は殺伐とするのか、娘。だけが特別に異常なんじゃないかと思います。エッグ・研修生出身でない人が多いことが影響しているのかもしれません。

*11:スマは2期が入った当初は典型的な馴れ合いグループでした。そもそも初期メン4人がエッグ以来の仲間で馴れ合い気質がありました。そこに入ってきた2期は初めは友達のような調子でいました。仲が良かったといえばよかったし、福田さんはどうでもいいと思っていただろうけど和田さんはそういう方向(メンバー間の距離が近いグループ)を望んでさえいたんじゃないかと想像しますが、当時のマネージャーの指示で先輩後輩のけじめをつけることになりました。

この記事の中盤で娘。について長々と記した中では、メンバーによる自治を前提にしていますが、実際にはそのときどきのマネージャーの影響もあるのだと思います。ここで個人的意見を加えると、オンステージとバックステージとプライベートの人間関係はそれぞれ区別できて、他の場面での上下関係の有無にかかわらず、バックステージ(仕事の場のうち、客前やカメラ前に出ていないところ)では後輩は先輩を敬った態度をとるのが礼儀です。また、マネージャーによる指示は本来、このバックステージに限定した意味でなされなければなりません。(オンステージの振る舞いに指示を出す権限があるのはプロデューサーです。プライベートには何人も干渉することは許されません。)

キモオタク的楽曲研究 ドキラブ編

モオタク的楽曲研究ということで、私が曲を聴いていて考えたことを書いていきたいと思います。シリーズ化するかも? 今日の題材は、松浦亜弥のデビューシングル、ドキラブこと『ドッキドキ! LOVEメール』です。

 

『ドッキドキ! LOVEメール』は大好きな曲の一つですが、実はずっとしっくりきてないことがあって。この曲の主人公は誰なのかなと。それが、発見があって自分の中で納得する結論が出ました。結論から言うと、あやや本人です、たぶん。

歌詞(参考)を見ていて今までは関東在住の中学1年生か高校1年生だと思ってました(大学生にしては幼すぎるし歌ってるあややは当時中学生)。一番の歌詞を、進学して行動範囲が広がって下北まで遊びに行き始めるようになったという意味に読んでたんですね。

でも、つんくさんのコメントによると、主人公は下北沢在住の女の子なんだそうで。(リンク

これを知って初めは「は?」と思いました。「下北にも慣れた(中略)次の休み来たら新しい道を歩いてみよう~♪」って言ってるけど、下北に住んでるのに今更下北に慣れるのはおかしいし住んでるなら休みじゃなくても好きなときに好きな道歩けるじゃないかと。

でも、この疑問を解く鍵も、さっきのつんく♂コメントにあったんですね。つんく♂さん自身が、若いころ上京してきて最初に馴染めた街は下北沢だったと。
じゃあこの歌の主人公も他所から上京してきたとしたら?と閃きました。

休みじゃないと散歩もできないなんて相当忙しい人だから、芸能人とかかな、というところまで想像します。
つまり芸能活動するために地方から上京してきた中高生。
あれっ、ひょっとしてこれあややでは??

……で、調べてみたらあややは姫路出身で。ピッタリじゃないか!
(ホントは下北沢じゃなくて違うところに住んだと思うけど、細かいことは気にせずそういう設定にしておくのが大人です)

もうお分かりですね?
まとめると、主人公はあややで、さっき挙げた歌詞は、「ハロプロからデビューするために上京してきて住んでる下北沢にも慣れてきたから、今度お仕事が休みのときにはちょっと冒険したお散歩をしてみよう」というふうに解釈すると良いんじゃないでしょうか。

 

ういうの、つんく♂さんにツイッターで「こんなこと考えたんですけど、実際のところどうなんですか??」とか聞いてみたいけど、全然違ったりしそうで怖くて聞けない。これ読んだ方、どなたかお願いします……。(?)

98年組の崩壊

2016年ですね。私事でバタバタしていたら1月も中盤になってしまいました。地味に元日にエントリ入れてるんで新年初投稿ではないんですが、気分的には今年のブログはこの記事で始動という感じです。

 
2015年の末には田村芽実の卒業発表がありました。この発表があったとき、「高3になる今年の春を目途に」というようなコメントだったので今年度中に卒業するのだと思っていたら、思いのほか5月までアンジュルムにいてくれるということで、彼女と事務所の両方の愛を感じました。*1 卒業自体に関しては、彼女が舞台女優志望であることは入ってきたときからみんな知っていたから、いつかそれを理由に卒業する日が来るということは分かり切っていて、それが今になったというだけというか、もちろん寂しいけど「行かないで」みたいな気持ちは少なくて、ただただ5年間ありがとうという気持ちです。めいめいが抜けるのは残念だけど、彼女がくれた思い出と残した功績に感謝しながら、本人の夢を応援してあげたいというのがファンの総意だと思います。スマがスキルメン軍団になってどん底の時代を生き抜きアンジュルムとしていま上り調子にあることは、彼女の貢献なしには語れません。
ところで、スマイレージの2期メンバーが卒業するのはこれが初めてなんですね。私のハロヲタ人生を語るうえで外せないスマ2期ですが(参考)、彼女たちも卒業が有り得る段階に差し掛かってきている。時が過ぎるのは速いものです。
 
ァンとしてめいめいを暖かく送り出してあげたいと思いますが、94年組から98年組にハローの主力がシフトしてきたこの時期に、98年組の象徴だったスキル3本柱(鞘師里保田村芽実宮本佳林)の2本が立て続けに抜けてしまうのは悲しいことです。彼女たちは、歌良しダンス良しオーラ良しのステージ万能メンであっただけでなく、メンタルに覗く闇とか孤高のプライドとか、共通した雰囲気をまとっていて、本人たちも関わりは少ないながらお互いをリスペクトしあっていたようだし、一緒に何かやったらきっと面白かっただろうになぁという心残りがあります。私はカリンのアイドル哲学を尊敬しているけど、盟友が相次いで去って今まで以上にたくさんのものを抱え込んで苦しそうにするカリンを見るのは胸が痛くて、心配しています。
これから先は、研修生(エッグ)叩き上げのカリンと室田瑞希ちゃんがツートップという感じで98年組を引っ張っていくのでしょうか。ハロプロハロメンと去りゆく二人に輝かしい未来のあらんことを。

*1:(追記)……と、この記事を書いたときは無邪気に感じていたけれど、ハロプロのデビュー時の事務所との契約が5年契約でこの間に自分から辞めることはほとんど不可能ということは紺野さんが身をもって示したことで、田村さんもオーディションを経て2011年6月ころから契約をしていたというだけのことでしょう。